浄化の道に入ると人生が大変になる
私は人に言わせれば、かなり波瀾万丈な人生を歩んできているようだ。
確かに他の一般的な人と比べたら、それは恵まれた部分もあったが、トータルで見たらかなり不安定な人生を送っている。
この不安定さを自分の心のせいにしたこともあった。
自分がダメだから現象もこうなるのだと思わないとやっていけないことも多々あった。
しかし全てはカルマの法則に依存する。
現象はもちろん、それを引き起こす行動、行動を引き起こす選択的思考、そして知覚。
これらの全てがカルマの法則に支配されている訳だから、これは自分の過去の犯した悪業の結果である。
修行の道に入り、カルマの浄化の道に入るということは、普通の人の何倍ものスピードで浄化の道を進むことになる。
だから良いことも悪いことも、どんどん早いスピードで流れてくる。
まるでベルトコンベアーのように。
そしてもう一つ、私の感じ方を付け加えるとしたら、天界が我々を見ていて、「あいつやる気になったな、よし!」と喜びながらその人本人のカルマをどんどん与えてくるように感じる。
我々はそれに苦しむ訳だけど、天界ではそれを喜んでいる(笑)
だって人生の目的はカルマの浄化にある訳だから。
しかし天界はただのSではない。
我々が何を与えれば喜ぶのかを知っていて、ちゃんとアメも用意している(笑)
例えば私の場合、生きていくための仕事には興味がない。
すると天界は、私にそういう労働はしなくてもよい環境を与えてくれた。
普通は家族がいて子供がいたらあり得ないことだが、なぜかそれで回っている。(もちろん、個人的な仕事はちょこっとしているけども)
同時にたくさんのムチも与えてくれる訳だが、これがアメとムチのわかりやすい実例かも知れない。
とはいえ、やはり辛いことの方が多いかも知れない。
だからこの、自分の汚れを急速に浄化する道から耐えきれずに脱落してしまう人も多い。
私にも同じような経験があるからその気持ちは本当によくわかるけども、そういう時、正しい念正智が足りない。つまり正しい教えのインプットが足らないのだ。
真理の片鱗を、世界、そして自我という仮初の自己を正しく見つめれば、修行しない理由がそもそもない。
それを何か理由をつけて逃げてしまうのは、神への信頼が足らないし、まだまだこの世界も捨てたもんじゃないと心のどこかで思っているから。
これはある意味洗脳じみている気もするが、自我そのものが強烈な洗脳であり、アメリカと日本以上の不平等条約であることを忘れてはならない。
自我に救いを求めることで、あなたはほんの僅かなチリと、死を受け取る。それと引き換えに永遠の命と、尽きることのないパワーと全能を手放して。
このことをよく、心に刻み込みたい。
修行の道は大変だが、そもそもこの世界そのものが地獄のような場所なのだ。
世界には決して悪くない楽もあるように見えるが、それだって本当は苦でしかないのだ。
この世界の楽を求めるということは、同時に苦も受け入れるということだが、この世界の最高の楽と最高の苦は明らかに釣り合わないことをよく考えた方が良い。
地獄を犠牲にして天国を手にしようとするこの情熱を、夢見がちだと嘲笑って決して軽んじてはならない。