真理との縁がない人たちからの恩恵
私は修行者だ。
ブッダやキリストの教えがこの世の中で最もクールなものだと思っているし、逆に世俗的なことには、周りが呆れるくらいほとんど関心がない(笑)
一方、大多数の人たちは、私の逆ではないかと思う。
世俗的なことで経済もメディアも回っているし、スピリチュアルだって、現世利益をちらつかせるからみんな集まってくる。
美味しいものや美しい景色、理想的な恋人や仲睦まじい家族、健康、友人、自己実現
当然そういったものが悪いわけではないけれど、私はそれらでは到底満足できない体になってしまった(笑)
とはいえ、真理の道に出会うまでの18年間は、そう言った世俗の価値観の中にどっぷり浸かっていたし、それになんの疑問も感じなかった。
実際多くの人たちは、まだ真理との縁がない。
だからそういった人たちを無理矢理その道に引き入れるのは、ちょっと違う。
彼らは現状で満足している。
修行者からしたら、「こんな変な世界で満足できるなんてどうかしてる!」と思うかもしれないが、修行者になれる人の持つバックグラウンドを、彼らはもっていなかったりする。
修行者だって、過去に真理と縁のない転生を何度も繰り返したからこそ、今生でダルマの実践という文字通り”有難い”課題を得られている。
こういうわけで、未だ真理との縁がない人については、特に彼らに対してなんとかしてやろうと思う必要はない。
もしくは、本当は魂のレベルも高くて真理に巡り合ってもおかしくないが、別のミッションがあって、あえて世俗的世界の中で活動している人たちもいるらしい。
だから他人については、神々にお任せしてさえいればOKだと思う。
もちろん、そういうことに敏感に反応する人に対しては、その教えの素晴らしさや価値について、説明した方がお互いのためになるから、積極的にそうしたい。
また別の角度から考えれば、真理と縁がない人たちから、私たち修行者が恩恵を受けていることが見えてくる。
修行者というのは、社会を運営していく上であまり重要な地位に就かないことが多いと思う。どちらかといえば、大勢の真理との縁のない人たちに支えられて修行をすることになる。
例えばこのブログもそう。私一人ではネットインフラも作れないし、こうしたプログラムを組むこともできない。
生活・交通・通信インフラも、経済も政治も外交も・・・
我々はそうした見えない恩恵を日々教授しながら、つまりお布施を受けながら生きていると考えれば、謙虚な気持ちになれると思う。
それに、根本的な存在論として、私がいるのは、彼らが完全な存在だから。