あるヨギのブログ

天衣無縫 愛とは今ここ 文体定まらず。基本エッセイ。長野県中信在住のシングルファーザー

人生変化のサイン?

3日前に周期が変わったことを肌で感じて、

 

その晩から立て続けに、変化を暗示する夢を見続けた

 

引っ越し

復縁

同期の死

そして2度にわたる娘の死

 

加えて、娘がかなりの高熱を出した

 

仕事でも大きな出来事が起こった

 

強制的に人生が動かされているような感覚があった

 

急に娘と一緒にいたくなり、

 

保育園や仕事という社会生活に対して強烈な違和感が出た

 

保育園のリュックやスーツを見るととにかく気持ち悪い

 

パジャマを脱ぐというだけで、え??

 

という感じ

 

世界の認識がぐにゃぐにゃして、

 

内観せざるを得なくなった

 

今日はなんとか保育園に行く

 

みんなに心配してもらって、

 

お父さんも大丈夫です?と聞かれたけど、

 

ミカンがモモになっちゃった!なんて、

 

言うわけにはいかんよね笑

 

マジで仕事辞めなきゃかもって思った

 

見える世界が歪んで、

 

身体の声しか聞けないんだもん

 

思考じゃなくて、身体の言う事しか聞けなかったあの感じ、

 

あまり共感される体験じゃないと思う

 

職場に行けば、

 

とりあえず仕事にはなった

 

たまりまくった仕事の山をなんとかした

 

職場もな~んか作りが違う

 

家も保育園もそうだけど、

 

世界が変わっちまったのか?

 

それとも自分が変わったのか?

 

得体のしれない違和感がある

 

 

内観の中で、菩薩道を思い出す

 

ギャルセトクメサンポの37の菩薩の実践を聴きながら、

 

久しぶりに涙が流れた

 

そうだ僕は菩薩だったんだ!

周期の終わりと夏至

写真の断捨離をするなかで、

 

過去を振り返っていた

 

社会に出てから10年経ったけれど、

 

本当に本当に色んな事があった

 

得がたい沢山のものを得て

 

多くを失ってきた

 

この10年は本当に長かったと思う

 

そして10年とはどのくらいのものなのか、

 

あらためてその厚みを知った

 

多くの出会いと別れがあった

 

楽しいことも沢山あったし

 

辛いことも同じくらいあった気がする

 

誰とのどんな別れも、辛い

 

たとえそれが自分に落ち度があったことでも、

 

そうでないことでも

 

 

まさか自分が今のような暮らしをしているなんて想像もできなかったけれど、

 

初志貫徹はできた

 

神を知ること

神を愛すること

真理を知って誤りを見抜くこと

霊性と物質の統合

 

18の頃からの無茶な夢は、

 

思ったよりもだいぶ早く叶った

 

僕は成し遂げることができた

 

それは素直に認めてあげたい

 

これは誇ってよいことだ

 

 

一方でその成果の代償とでもいうのか、

 

ここに来るまでに、あまりにも多くのものを失ってきたような気がする

 

自分の弱点を克服するために、

 

多くの機会が与えられた

 

 

夜散歩をしていて、

 

どうやら人生の周期が変わったらしいことを感じた

 

そしたら今日は夏至だったんだね

 

キリスト教の功罪

さっきも電話で若いお兄さんから言われたんだけど、

 

教会はいつもこう言うね

 

「私たちはいつでもあなたを歓迎します」

 

でもさ、これってめちゃくちゃ傲慢だと思うんだ

 

だってさ、

 

この時点で教会は相手に対してマウント取ってるよね

 

対等じゃないんだよ

 

オレ別に教会とか求めてないし

 

何なら行きたくないと思ってるから

 

これを感じるセンスがあるかないかで意見が割れると思うけど、

 

愛って対等が前提だからね

 

来てほしい、とか、また会いたいと言うなら、

 

素直でいいと思うんだけどね

 

「あれは定型文だから…」

 

という擁護をする分別くさい人がいるけれど、

 

「じゃあ言葉に責任を持たないってことなんですね」

 

と返したい

 

 

キリスト教は特にイエスと天のお父様を中心に考えてて、

 

その意識構造があるから、

 

教会の外の人や他人に対して、

 

無意識でそういう態度を取りがち

 

つまり愛と神という慢心の伴った善意であり、

 

かつ、それはしばしば何でも受け入れようとする態度や物質的な奉仕も加わるから、

 

表面的には分かりづらい

 

けれどさ、キリスト教が世界に対して犯してきた罪を考えれば、

 

こうした傲慢さが現代の宗教組織に受け継がれていないと考えるのは不自然というものだよ

 

俺達が救ってやる

俺達が正しい

俺達がみんなの分まで

 

それが世界にどれだけ迷惑をかけてきたのかを考えた時、

 

イエスのなそうとした事業の大部分が現状は失敗と評価されてもおかしくない

 

イエスの功績には不動のものがあるには違いないし、

 

また、現状を過渡期とすることで、

 

教会の地位と活動の整合性は見た目としては保たれているわけだけど、

 

ちょっとねぇ

 

僕はいかんと思うんだよね

 

イエスの個人的な生涯は完成された確信あるものとしても、

 

その後がいかんよね

 

教会は確かに沢山のいいことをしてきたけれど、

 

実際はそれ以上のトラブルを引き起こしてきたんじゃないかな

生命の生々しさ、デーヴァ

僕たちは普段、

 

生命の活動を自分から切り離された何かとして知覚することがほとんど

 

風がそよいでいても

 

川が流れていても

 

太陽が燦々と降り注いでいても

 

雲が形を変えながら東へ動いていくのも

 

それは観察の対象

 

なんなら、

 

それが自分の命に届かないものとして扱っている部分がある

 

これは自然が好きと感じている人たちもそうで、

 

好ましいとか嫌だとかは、

 

外に見て、これを評価しているから起こること

 

 

けれど修行が進むとなのかな、

 

生命が自分の命に対して肉薄するというか、

 

まさに実感を持って迫ってくるというか

 

そうだな、テレビでいうと

 

アナログテレビとバーチャルリアリティの映像っていうんだっけ?

 

それくらいの違いがある

 

観察対象というのはフラスコの中みたいな感じがあって

 

けれど本当に世界を体験し始めると、

 

自然はフラスコの中空飛び出して、

 

自分に対して雄弁に語り始めるんだ

 

断言できるけど、

 

普通人類の考えている自然は、

 

彼らのリアリティを全く捉えていない  

 

犬猫は人間からしたらワンワンニャーニャーだけでそれ以上の意味を持たないが、

 

彼らからしたらそれは立派な言語であって、

 

はっきりとした意志と世界観があるように

 

自然はそれ以上かな

 

もっとダイナミックで繊細で見えない奥行きをもつワイドでダイナミックな活動とセンスをもっている

 

自然界のデーヴァ(神々)との接触って、

 

自分はまだその実感も体験もないけれど、

 

もしかしたらこの感覚の先にあるのかなとも思う

 

音は彼らとの接点とよく言われているけれど、

 

それはなんとなくわかる気がする

 

だって、確かに音は、あのダイナミズムにおいて言語たり得ると感じるから

溢れる

幸せが溢れている

 

すると、求めるとか不可能何だよね

 

欲しいとかなくなる

 

無理なんだよね、その状態だと

 

例えば僕にもなりたい状態はあるし、

 

なんなら好きな人もいる

 

なりたいなー

 

話したいな〜とかはあるけれど、

 

求めちゃいないんだよね

 

渇望していないって感じかな

 

だから軽い

 

溢れつつ

 

希望をもっている

 

これは多分同居可能なんだ

 

幸せが溢れつつも、

 

失敗はするし、反省もする

 

けれど謝ったり深く反省することはあっても、

 

深く落ち込むことはないんだよね

 

気には病まないかんじ

 

だって世界が落ち込ませてくれないから

 

風に草がそよぐだけで

 

近所の庭でバラが咲いているだけで

 

命の親切さを感じるから

藤井風くんが賞とったね

彼はマブダチ

 

けれど間違いなく、

 

僕よりも大きな魂を持っている

 

彼の神への献身は本物だよね

 

全世界の前で、神にだけ感謝していた。

 

神のことしか考えていなかった

 

最高のバクティの模範だよね

 

そういう人が世の中に出る時代になった

 

ピュアであることが実際に評価される時代になった

 

僕も神への愛を世界に丸出しにしたいよね

 

でもやりきれない現実がある

 

風くんは凄いよね

 

僕も彼に倣って

 

もっともっと、心の中を神様で一杯にしたいな

すべて、すべて

f:id:yogi-blog:20260617065221j:image

 

能力

状況

環境

 

これらのすべてがすべて

 

私のものじゃないんだ

 

すべては貴方のもの

 

愛おしき至高者、貴方のものなんですね

 

こんなに優しい真理が他にあるものか

 

すべてが貴方に抱かれていて

 

見渡す限り、貴方の手の中にある

 

私に何ができようか

 

ただ貴方を賛美する他に

 

私になし得ることなど何もない

 

貴方の愛に報いることの他に

 

考えるべきことなど何もない

 

私を強くし、軽くし、暖める

 

これは真実ひとつで事足りること

 

 

どこにいても、

 

貴方から離れるなんてできない

 

だから私は、ここに居られるわけで