あるヨギのブログ

実際の修行の体験に基づいて、思ったことを綴ります。同じ道をこれから歩もうとする人、すでに歩んでいる人の励みになれば嬉しいです。

真理を求めて苦闘する日々

私はこれまで、結構色々なブログを書いてきた。

でも、どれも長続きしなかった。

 

今思えば、理由は簡単だった。

生き方の方向性が定まらなかったから、書いていても途中でしっくりこなくなってしまい、内容も一貫性のないものに感じられるので、半ば自己嫌悪によって更新が止まってしまうのだった。

 

私は、自分が生粋のヨギ、真理の探求者であることを知った。

それ以外のものには全く関心を持つことができないほど、その道に強く惹かれていることを、やっと自認することができた。

 

振り返りがてら、これまでの経緯を書こう。

 

私が真理の探求の道に出会ったのは、18歳の時だった。

16歳ごろからサイキックの世界に触れる機会があったが、割とすぐに、本当の世界を探求したい気持ちが出てきた。

そこで出会ったのが、「奇跡講座」だった。「奇跡のコース」と一般には呼ばれている。

800ページもある難解な書物だったが、最初は意味不明ながらもなんとか食らいついて、1年で修めるワークブックを入念に5年くらいかけて3周した。

いろんな神秘体験もあり、ある程度成長の実感もあった。

この時、確か24歳。アルバイトをしながら学びを第一に優先し、実家に世話になりながら暮らしていた。

 

この年、人生の潮目が変わる。

当時の親友の結婚を知らされたのがきっかけだった。

私は18歳からの年月において、なんら現世的能力を身につけてこなかったことに気づく。

ひたすら瞑想し、本を読んで、日常の人間関係において心を変える努力しかしてこなかった。

そんなことをしているうちに、同級生たちは、人間としての、社会人としての人生を謳歌し、前進し、確実に実績を積み上げ、自分の居場所を作っていたのだった。

 

私は愕然とした。ちょど目の前にかけてあった時計が、自分を置いてグルグルと回っているように感じたのは、今でも鮮明に覚えている。

修行中だったそれまでにも、自分が置いて行かれているような感覚を何度となく味わっていたが、それに本格的な勢いがついた。

 

そこからは実際に這い上がる人生だった。

 

最初は日雇いの工場勤務から始め、田舎で馴染みのあった農業の会社に入る。

そこから福祉の会社に出向し、実質は福祉の分野で働くことになった。

そこでの仕事が評価され、講演を頼まれることも幾度かあった。

結婚もして、子供も生まれた。

その後もっと社会的な成功をしたいと欲をかき、会社を転々とした。

 

しかし、その中で私は深い挫折を経験し、再び純粋に神を求める人生に引き戻された。この時、30歳。

それまでも真理の探求は心の隅にはあったものの、どこか現実的成功と解脱を抱き合わせることができるように思っていた。

だがそんな甘い幻想を徹底的に潰されることで、私はもう、神に頼るしかなくなっていた。

 

それからというもの、真理の探求者としての自分は、徐々に自分の中心に据えられるようになっていき、対外的な態度にもそれが現れるようになった。

 

今でも心理カウンセリングと、ある会社さんのコンサルをしているが、私はヨギである、と名乗ることにはなんら躊躇しなくなった。昔はそんなこと名乗るのが怖かったが、今では誇りに感じる。

 

挫折ののち、仏教とヨーガに出会ったことが大きかった。

奇跡講座は今でも名著だと思っているが、実践となると、実地で洗練されてきた仏教とヨーガが、今の自分には必要だと思っている。

 

現在31歳。

たった一年だが、これまでの人生の中でも非常に大きな進歩を遂げた一年だったと振り返る。

 

その進歩の核心には、一言では言い表せないものがある。

これまでの無駄に思えた積み重ねや努力、熱意と信じる力が今になって開花し、自分を次のステップに引き上げてくれた。

 

20代の頃、ほとんど手探りで、師匠と呼べる人もなく、独力でひたすらに頑張った。

呼びかけても声は聞こえず、訊ねても返事はなかった。

しかし全てを神の声だと信じて、現実の波に押し流されまいと懸命に努力した。

その頃に、実は萼の中で準備が進行していて、今になって一気に花開いたように感じる。

 

友人の結婚を聞いたあの日から、再び世俗の欲が自分の中からほとばしり、無意な時間を過ごしたことは否めない。

しかしそこから再び神の恩寵によって自分の道を取り戻し、今こうして真っ直ぐに自分を修行者であると認められるようになったことは、本当に喜ばしいことだと思っている。

 

真理のダルマの実践ほど、私の心を喜ばせるものはない。

真理のダルマを想起すること以上に、私を魅了するものはない。

真理のダルマを聞くことは、いつでも私の生を高揚させてやまない。

 

初回は、こんな感じでどうでしょうか。